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「名もなき毒」宮部みゆき


名もなき毒 (カッパ・ノベルス)

名もなき毒 (カッパ・ノベルス)


この毒というのは、人間に悪い影響を与えてくる全てのものを指すのだと思う。シックハウス症候群を引き起こす住宅環境や、土壌汚染といった環境そのものや、貧乏という状況、そしてもちろん人間の暴力や言葉、存在そのものでさえも、毒となる。
いろいろ思ったことがあったので、久しぶりにちゃんと感想書こうと思ってたら、マツダで事件が。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100622/crm1006221942033-n1.htm

僕は、犯人について何もわからないし、今後も本当のところはわからないだろう。しかし、何がわかっていようが、犯人の暴力によって被害者となった人たちや、死んでしまった人、その家族にとっては何も変わらない。激しい怒りや、やりきれなさ、そういう諸々の被害を、補償する術はない。
この本は、そういう嫌な話を書こうとしている。ただ、やりきれない思いか、そうでなければ激しい怒りと憎しみを抱くしかない、嫌な話。
宮部みゆきの書く、主人公サイドの人間は、大体が聡明で優しく、「まとも」な人間である(作者好みの人間というものかもしれないけど、僕程度の読み手では気持ち良く読んでしまうのである。だからベストセラーなんだきっと)。この本の主人公周辺も、基本的にそんな感じだ。主人公杉村三郎は優しく聡明で、家族を愛している。杉村の妻も夫と娘を愛していて、妻は今多コンツェルン会長の妾腹の子でありながら、本家とも仲が良く、守られている。杉村の勤める今多コンツェルンの社内報編集部も平和で、基本的には善人の人々で固められている。
だが、だからこそ、原田いずみのような強毒がよく目立つ。この身近で見た目からも明らかな毒と、連続無差別毒殺事件という見えない毒を物語の主軸にしながら、各種様々な毒について触れていく。その中には、根が善人キャラである編集部の中に、編集長のキャリアウーマンとしての立場と生き方からどうしても発してしまう主人公への嫌みや、善良な叩き上げ社員の中にある無自覚な価値観の相違など、それは些細なモノであっても、その場所、その人によっては毒になるだろう。
これらの毒。マツダの事件の犯人の毒、誰しもが持っている毒、全てを防ぐというのは無理な話で、むしろ、人間は昔からすれば守られすぎている。だけど、「全員が幸せに生きる権利を持つ」という幻想を持ってしまったが為に、それを許容できない。そう思っても尚、自分や家族が毒にやられるのは嫌だ。だから、そういう問題について、どうすればいいかと考えると、やりきれない思いになるのだ。


(ネタバレしてもよければ)


この話を読んで、読みながら登場人物と同じような気持ちになれたシーンが二つある。
一つ目が原田いずみの父親の語る、原田いずみが兄の結婚式で起こした事件を語るシーン。杉村と編集長は、その話を聞いてショックを受け、やりきれないと思い、もう聞きたくないと思う。読んでいる僕を描写してもそんな感じだったろう。

原田いずみは、編集部にアルバイトで雇われ、主人公達と関わるが、履歴書の詐称や、仕事ができないとウソを交えたような言い訳をしたり、「不信」で「問題」がある。父親が語るには、学校でもよくウソをついてクラスメートを貶めたり、そんなのがたたって虐められたり、学校に馴染めず、高校を中退した。
そういう前提条件をふまえた上で、原田いずみが過去起こした事件を聞く、というしかけだ。内容は、結婚披露宴、新郎の妹としてのスピーチで、原田いずみが兄に性的虐待を受け続けたと涙ながらに語るというもの。

事実はわからない。だが、父親が把握しているのは、それがあまりにも突拍子もないということだけ。結果、兄の結婚はダメになり、兄の結婚相手は自殺する。家族は遠くに引っ越す。原田いずみの異常性ともとれるし、原田いずみの語ることが真実であれば、現在の異常行動の原因がそこにあるのかもしれない。その時点で、主人公達は断定することができないし、しない。事実はわからない。
現実では事実はわからないものなのだ。本人が自白したところで本当のところを語っているとは限らない。嘘かもしれないし、本人が全てを言葉にできるわけでもない。だけど、創作というのは、時にというか往々にして、真実を断定する。ミステリでは、犯人と犯行方法と、動機までも断定する。それは、安心の為だと思う。現実のあやふやな部分のことばかり考えていると嫌になるけれど、断定される何かはとても安心できる。創作はそういう作用と能力を持っている。
この話を聞いた後の、気持ち悪さで、そのことに気づいた。
後半、本人がその話が嘘だったと語るけれど、これは読者サービスのようなものなんじゃないかと思った。本人が語ったところで、真実はわからない。その告白はなくても良かったはずだ。だが、そういう「形式」をとることで、読者のもやもやは少し薄れるだろう。


あと思ったのが、悪の定義について。特に器質的な悪について。何を悪とするのか。人に迷惑をかけるのが悪なのか。では器質的に迷惑をかけやすい場合は? 自分自身の弱い心に負けて人に迷惑をかけるのが悪か? でも人は平等ではないので、単に環境に恵まれただけのヤツは悪ではないのか。
悪とは関係ないけれども、器質的なものや、環境的な不平等というのは、やっぱり考慮しないといけないと思っている。苦労してるヤツが偉いとかそういうのでなくて、何か持っている人は、それを自覚して、感謝するくらいがいいんじゃないか。
などなど、中学生的な話をぐるぐる考えた。答えはまだない。


二つ目は、最後の原田いずみが主人公の娘を人質にとるシーン。この展開は、本当によくある形すぎて、中盤から多くの人が予想していたと思う。そして、この物語とか宮部みゆきの性質からして、最悪な事態はないという思いも頭の隅にあったろうと思う。それでもなお、何の関係もない妻と子供に、暴力を向ける原田いずみの身勝手さに対する怒りと恐怖は、半端なく感じてしまう。もし、自分の家族がそうなったらという思いがでてくるのだろう。それまで原田いずみに抱いていた、環境がそうさせたのかもしれないという思いは吹っ飛んで、怒りにそまってしまう。


普通に断定的な創作とすれば、原田いずみは同情しようがない犯罪者として処理できるし、この本もおおむねそのように書かれている。しかし、現実はそうではないし、犯罪者だけが毒ではない。法で裁けない毒もある。毒が毒とならざるをえなかった状況を考えることは必要かも知れない、しかし、毒を受けた被害者は怒りや悲しみ以外に考えられない程追い詰められてしまうことだってある。そういうことを考えると、ああ、嫌だなあと思う。日本の政治とか、僕はぜんぜんわからないけど、わからない人間に閉塞感を感じさせるくらいに追い詰められているのはわかる。それと同じように、きれいな部分だけ見て、みんなが幸せになれるという幻想を抱いて、なんとか嫌なことをどこかに忘れて生きている僕にとって、嫌なことを思い出させたなあと思う一冊でした。良本。