白飯

好きな物100

青の30号

30歳になった。
想像していたとおり、特に感慨はない。いや、あるのか。30歳という年齢について思うところはあるけれど、自分がその年になったことで特に何か変わることはない。よくわからん。
僕が普段からよく言ってる、人生50年における元服が15歳だから現代では30歳くらいで一人前だ説でも、一人前になってしまったことになるな。逃げられない。否が応にも。まあ、周囲は変わっていくからなあ。それが寂しいような、でももう流れていくのもそれでいいかというような気分に、最近はなってきている。昔、小中学校の友達と、久しぶりに会うとよく、変わらんね、何か安心する、というような感想をもらった。おれはタイムカプセルか、と思いながら、内的な細かい変化は認めつつも、外見も中身もそんな変わらないままいくんだろうなという意識は自分でもあった。それが、今はよくわからなくなっている。変わっているのか、変わっていないのかわからない。どうでもよくなっただけかもしれん。
このまま年をとっていくのだろう、というのを感じるようになった。50や60になる。多分、70、80になる。人生は終わる。それまでにまだまだいろいろ起きるけど、多分最高にうまくいっても、70、80になって、人生は終わる。人生終わったとかそういう変な悟りではなくて、人生の苦しいところや大変な事件とか楽しいこととか、そういうのはまだあるのだろいうのだけ認識して、それがなんたるものか、そのときどうするのか、とかまではわからない。ただい自分がそういう道を歩いていくのだなあと意識するようになった。
なんというか、学生時代というのはただ日々を乗り切るという感覚が強くて、あんまり先のことを考えてなかったなあと今更思う。何だかわからない人生の本番というのがゴールとしてあって、それまで今できることだけやって、あとはなるべく楽しく乗り切っていこうとだけ思っていた。そうやって学生時代が終わり、就職して、ついに待ちに待った本番になった。すると、一旦目標設定がクリアされてしまい、あれ、存外に楽しいぞ? 自由? と、なんだかフリーダムな世界を感じて楽しくなる時代(欲望爆発時代ただし不完全燃焼)になった。そして、現在に至り、30歳になっているのだけど、幸運なことに結婚もできて、まだ大きな目標はないけれど、負うべきものやこれまで見ないふりしてたものも認識した。そうすることで、年をとった自分を意識するようになったのだろうな。もう今となっては、可能性未来を楽しむのは難しい。もう具体的に楽しい未来に向かう楽しさを覚えていかんといかんなと思った。ただ乗り切るための刹那的な楽しさになれすぎたせいで、なかなか本当にやりたいことがわからなくなってきたようだ。