白飯

好きな物100

究極のメニュー

古代中国に一子相伝の暗殺術あり。一度向き合えば生きる術はなく、故にその姿を見るものはない。

古代中国に暗殺料理なるものが存在していた。一子相伝で伝えられるその料理術は、かの秦の始皇帝の側近23人を暗殺せしめた最強の暗殺術として記録にのみ名を残している。かくして無敗の暗殺術が、何故消えていったか、今日はその話をするとしよう。


あるところに仲の良い夫婦がいた。妻は夫を愛し、夫は妻を愛していた。妻は料理が得意で、食べることが好きな夫にとって毎日の食事は天国のようであった。「私は料理しかできません。ゆえにこの料理があなたへの愛そのものです」と妻はよく言っていた。
しかしあるとき、夫が妻の料理を記した本を読み「最高の料理」という項を見つけた。夫は妻に、この料理を作ってくれと頼んだ。しかし妻はそれを拒んだ。喧嘩などしたことのなかった夫はむきになり「お前は、私への愛は料理で表すと言った。しかし私への愛は最高ではないのだな」と言った。妻は悲しそうに答えた。「愛しております。それゆえにこの料理は作れないのです。判ってくださいませ」「わからぬ。たかが料理ではないか。やはり、お前は別の者のことを」そこまで言ったとき、妻は泣いた。「違います。違います」「なら、この料理を」「…わかりました」妻は涙を拭いて夫を見た。涙に腫れたその目には暗い光が宿っていた。

妻の作った「最高の料理」とはまさに「最高」であった。天国に昇るかと思えるような、これまでにない味の料理が、次々と出てくるのだ。そして不思議なことに、もう腹は膨れているのにもかかわらず空腹のときと同じように美味しいのだ。「もっと、もっと」夫は際限なく料理を要求した。やがて、夜が明けて、太陽が真上に昇る頃までも夫は料理を食べ続け、腹を破裂させて死んだ。妻は、夜まで泣いて、自ら料理を食べて喉を詰まらせて死んだ。


妻は暗殺料理の継承者であった。暗殺料理の真髄は、秦の始皇帝に使える毒見役の目と鼻をも欺いた、毒も薬も使わない「最高の料理」にある。その究極の料理は人間の無限の食欲を呼び起こす。強制的に止めさせたとしても、薬物などよりも酷く記憶に焼きついたその味は、料理を食べた人間の精神を崩壊させる。


暗殺料理の一子相伝の哀しみは、弟子が暗殺料理を完成させるまでに師匠が味見をすることによって起こる。暗殺料理が完成したそのときに師匠は暗殺料理によって死ぬのだ。
(林明鳴 著「中国料理戦術」)