白飯

好きな物100

あさっての方向

想像力というのは方向と大きさに分解して考えるべきだと思った。そして想像力というのは起点となる物事に対してその都度発生する力で、そのときどきで、物事に対する知識・感情、体調等のパラメータで変化するだろう。でも、個人の想像力の傾向というのがあって、そのへんまとめてが会話等で一般的に使われる想像力ではないだろうか。


で、僕の想像力の傾向はというと、(大きさ、方向)=(低、一般よりややズレている)という感じだと思う。友人たちとの会話やなんかでは、このズレは面白さや新鮮さ?を生み出して得をすることがある。いわゆる天然というやつで、これのおかげで知らない間に色々助かった気がする。でも、今日思ったのは、それって想像力があるわけじゃないよなということだ。そんな風に考えたのは、最近の自分の仕事っぷりや私生活のだらしなさを見ると、先の事を考える(想像する)能力が欠如しているとか思えないからだ。ある種の想像を遮断することで刹那を楽しもうとする傾向すらある。


そんで、その想像力:低・ややズレが、仕事ではどうかと言うと、全然ダメだ。というか、まず想像力の大きさが足りないのは致命的で、OutPutまでの道のりを想像できないのがダメダメだ。で、大きさを鍛えたらよいかというと、ややズレているので、同じ大きさであっても、真っ直ぐ真実に向かった想像力を発揮した人より劣ってしまうのだ。下手したら、全然違う方向へ走り出してしまうこともあるかもしれない。


想像力、大事だなあ。この年になって初めて己の想像力を考えた。創造とは、知識にあるこの世の条理や情理に沿った道筋を辿る想像を超えた先にあるのだと思う。想像力は鍛えねば。まず大きさ、基本的な能力UPは必要。そして方向性だが、仕事とか必要な物事については、ある程度学習して、真っ当な方向性を覚えていくことになるのか。結局、具体的にどうすればいいのかが想像できない。