白飯

好きな物100

やっぱりオチはない

昼食はからあげ定食だったので、コンビニで夜飯を買うときにからあげ弁当の選択肢は外してカルボナーラとからあげくんを買った。5分ほど歩いて寮に帰ってきたあたりで、結局からあげを食べる事に気付いて、はは俺ってドジッ子ドジッ子っていくつまで許されるんだろうとか思ったのだけど、自分をドジッ子という事の禍々しさを感じて気持ち悪くなった。
「もしもし、ああオレ!オレだけど、じいちゃん急いで振り込んでよ」「(来たー!)オレオレ詐欺なんぞに振り込まんわー!」ガチャ「もしもし、ボク!ボクだけど、じいちゃん急いで振り込んでよ」「どこ、どこに振り込むの?」みたいな感じで僕は本質を考えて見抜く事が下手糞だ。脳に隙がありすぎる。というか脳を扱えてないのか。よくぼーっとしていると言われるのだけどそれに反発する気持ちはあるが多分に本当で、道を歩いているときなんか、つまらない歩いている事なんかより、頭はもっとぽやぽや楽しい別の事を考えている。これはナガラ族と言われる僕の何でも並列化して効率よくすることに楽しみを感じる性質のせいかもしれない。身体は脳を運ぶ容れ物という言葉はとてもしっくりくる。脊椎反射みたいな感覚で日常のしょうもない事は自動化できれば良いと思うのだけど、心身が一体となったときこそ、真の力が発揮されるというか、走ると思いながら走った方が速いというような事も考える。
今日みたいな今日はこんな事を考えていた日記と言うのは取り立てて面白いことも無かった日でも書きやすくていいのだけど、後で読み返したときにあんまり楽しくない。あのときこんな良いこと思ってたのにとか、何度もおんなじことを言ってるとか思うからだ。