白飯

好きな物100

おばあちゃん

今日、お祖母ちゃんが死んだ。遠くに暮らしていたので実感は薄い。ただ、いなくなってしまったということはわかる。


電話の母親の声も落ち着いていた。
哀しいという感情はないわけではないが、日常の雑多な感情や行動を規制しない。


でも、あれだけ良くしてくれた人がいなくなったということを考えると、やはりこれは人生において、とても重要な一点であることは間違いないと思う。そして、冷たい、と思う。思うだけだが。


お祖母ちゃんが死んでも、性欲はあるし、会社に遅刻したり、疲れて居眠りしたり、夜遅くまで起きていたり、久しぶりに会う従兄弟とどう接して何を話すのか考えたりして、自分でも最悪だなあ。でも本当に最悪なのは、そんな自分を客観的にしか最悪だと思えないことだ。そんな人間になってしまった。


これで、明日の通夜には一丁前に悲しい顔をするのだ。顔だけでなく心まで悲しいと思ってなくかもしれない。


おばあちゃんとのことを思い出してみようと思った。おばあちゃんは、元気で、聡明な目をした人で、幼少期は何となく尊敬していた。脳梗塞で倒れても、趣味を見つけ、わがままも言って、よく笑って、枯れなかった。すごいと思う。
最後にあったのは夏で、そのときも、元気で、大きな声で笑って、僕らのことを気にかけてくれていた。最後まで自分にできる事をして、気遣ってくれたんだなあと思う。そんなことを考えたら少し泣きたくなってくる。あのとき僕は少しうざいなと思ったんだ。この涙は正直になった自分大好きな涙かもしれない。純粋にお祖母ちゃんを悼みたい。情けない。


お祖母ちゃん。僕は、やっぱり全然ダメです。いつも、大丈夫だとヘラヘラ笑っていたけれど、やっぱり僕は全然ダメです。自分のことばっかりです。


でも、頑張ろう。直ぐには無理だけど、少しずつ、たまに思い出したら、そんな気持ちになれる気がする。


元気で、わんぱくでもいいから元気で。おばあちゃんの言葉はそれしか思い出せない。