白飯

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FF3

ファイナルファンタジーIII

ファイナルファンタジーIII


昔の方が良かった、と以下、不満点をつらつらと書きます。もう完全に無駄文章です。
じゃあ、買わなければ良い、やらなければ良い、お前の思い込み、ごもっともです。
ただ愚痴をこぼしたいだけ。厄介なファンです。
なあ、でも皆そう思わないか。
ちなみに今日買ったので、まだジョブチェンジも出来ない。よって最初の項目以外は予想。机上の空論の可能性もある。


こういうインタビューがある。この人たちが、語ることがどれくらい実現できているのか……。
http://www.dengekionline.com/soft/interview/ff3/index.html
http://mantanweb.mainichi.co.jp/web/2006/08/ff3_1.html

キャラクターが「4人のみなしご」から、それぞれに個性を獲得した点

オープニングが「洞窟に迷い込んだ四人か」から、「洞窟に迷い込んだルーネス(名前)1人」

個性が追加されたのは別に良い。問題はオープニングが「主人公の『1人』が洞窟に迷い込んだ」ことになっていること。
これに拘っている。僕は、兄弟同然に育った四人の孤児が、偶然迷い込んだ洞窟で、クリスタルの啓示を受けるというオープニングが好きだった。FC時代にも、いきなり洞窟から始まって、最初のボスを倒した時点で、オープニングが始まるという演出に驚いた。ここで「これ、もうエンディングやで」と知らない奴に嘘を言うのが作法になっていたのを思い出す。


今から思えば、4人の奇妙な長い冒険の始まりはこのクリスタルと出会うところか始まる。そこをオープニングにしたのは良かったと思う。

それが、今回は、1人。それを聞いて、まず落胆した。それでいいのか? と。


で、実際にやってみた。展開を知っているせいか、やたらクリスタルとの出会いまであっさりしている。仲間と出合った時、光の啓示を与える、とクリスタルは言う。村に帰って、長老から行って来いと言われ旅に出る。で、ここからの仲間探しだが、これが酷かった。

(中略)原作は、4人が落とし穴に落ちて、プレーヤーが4人分の名前を入れるとゲームがスタートするのですが、ちょっと強引なので、洞くつに落ちるのは1人にして、序盤で仲間がそろうように変更しています」

序盤の4人同時スタートをやめたのは、当時、あまりにも唐突に始まる展開は違和感があったものですから。それに最初に4人分の名前を考えるのは難しいんじゃないかと。プレイしながら、それぞれのキャラクターの性格が徐々にわかっていけば、名前をつけやすいのではないかなというのもありました。

と上のインタビューでディレクターの人が言ってる。4人に個性をつけて、オープニングを変更して、さてどんな出会い方をするのか、と挑戦的な気持ちでやった。「1人でだってやってやるんだ!」と言って飛び出した二人目は、次の村で話すと「僕も連れてって」と仲間になる。その村から3,4歩歩いたところの飛空挺で、三人目の女の子がいて話すと仲間になった。サスーン城に行くと城門にその城の兵士である4人目がいて、王様のところに一緒に行くと仲間になる。なんだこれは。「やっぱり直ぐに四人揃ったほうが良いよね」「ユーザビリティを考慮してみました」という適当な作為を感じた。ちなみに名前をつけるとき、性格はわかりやすく上の画面に文章で説明されていた。


なんとなく一緒に行くことにしました的なしょうもない流れよりも、兄弟同然の孤児が運命を変えるような体験を経て旅立つ方がまだ良いだろう、というのが僕の意見だ。四人に個性をつけるのなら、四人の孤児兄弟設定を残したままでも、城の兵士やら、鍛冶屋の弟子程度の安い設定ならつけられただろうに。

ジョブチェンジシステム。心のキャパシティは廃止。変わりに一定期間は、見習い。

CP制の場合、最終的にCPが余ってしまうんですよ。そうすると、結局はポイントがないのと同じ感覚でジョブチェンジできてしまっていた。今回はそれよりは、もう少し戦略的にジョブチェンジしてもらおうかなと考え、CP制を廃止する代わりにジョブチェンジ後にペナルティ期間を発生させるようにしました。

ペナルティ期間は、ジョブを自由に変更できるというコンセプトとは逆になってしまっていますが、その分、戦略性が増していると思っています。

こういうのはゲームの作り方としてなってないと思う。このペナルティにどのようなメリットがあるのか、ちゃんと考えてない。


ペナルティでステータスが低下するのなら、ジョブを試してみて、強さを比べたりは出来ないということだ。出来るけど面倒くさい。ジョブチェンジのために、不必要な戦闘をすることに、戦略性を感じるのか。

戦略性というのは、不自由さから生まれるのでなくて、ルールから生まれるのだと思う。ペナルティ期間を付けて、生まれるものにどのようなものがあるのか、失われるものはどれくらいなのか。
難しいものが面白いわけではないし、簡単なものが面白くないわけではない。本当にリアルなゲームが面白いかどうかなんて、もうそこらで既に語られてるだおるに。


FC版では「ジョブチェンジには、心のキャパシティが必要じゃ!」と叫ぶ爺さんがいて、キャパシティの意味を知らなかった僕は、でも何か興奮した。今でも記憶に残っていた心のキャパシティという言葉自体に思い入れがある。
ジョブチェンジの多用は精神に悪影響を及ぼす(十分な心の容量が必要)」というこの設定自体に僕の心の中学生にとっては惹かれるものがあるので、パラメータ低下みたいな安直なのにならずに、もっと考えて欲しかった。

その他

  • カズスの炭鉱に行こうとしたら、鍛冶屋の娘が「お父さんにどんな顔してあったらいいのかわからない」とか言って抜ける。
    • このせいで、炭鉱に4人で行けない。僕はFF3では、4人と平等に旅したいんだ!
    • 何だか、個性を無理矢理とってつけたようなセンスの無さを感じる
  • 戦闘中武器が変えられない(変えられた)
    • これは、そうなのか? FCでもそうだったっけ。それは戦略性が高まるから、可能にして欲しい。
      • 前もって決めておく戦略性より、戦闘中に炎のロッドと氷のロッドを持ち帰る戦略性の方が楽しいと思うのだ。
      • 変えられました。

思ったことまとめ

あくまで僕の感想だが、何というか、考えが浅いような気がする。「これが良いんだ!」という思い込みで元の良いところを変更したり、それでいて細部には「こんなんでよかろう」という適当さがうかがえる。

別の一個のゲームとしてなら良いのかもしれないが、インタビューを見る限りは、「思い入れのある作品」「元のイメージを壊さない」というようなことを繰り返し言ってて、それでこれか、と1ファンは嘆く。多分、この田中というおっさんが悪いのだと、勝手に思ってる。


といいつつも、飽きるまでやる。てか、まだ全然やってないので、言いがかりに近いかもしれない。FF3は好きだったけど、結局最後のボスは倒していないし、というふうに締めるが、こ、これは、別にツンデレでもなんでもなくて、昔のFF3が好きだったから言うんだからね! 


また不満が募れば、次回も書くかもしれない。