白飯

好きな物100

第11回

正直者の会の田中遊さんが講師。
身体表現のワークショップ二回目。

前半は、身体の力を最大限ぬくこと。後半は、二人または多人数で空気を共有すること。に関するワークをやった。


前半の教えは「自分の身体の状態を把握しておくこと」。舞台上では台詞だけでなく、その台詞や場に相応しい声と空気を作るために、身体の緊張感が大事になる。そのためには、自分の身体が普段どんな風なのか、どこまでリラックスできるかというのを感じるため、身体の力をぬくワークをいろいろやった。


合気道においても身体の力を抜くことは基本で、後輩とかには偉そうに「力を抜いて」みたいなことを言ってるのだが
でもやっぱり基本というのは一番難しく、僕もできてない。ふとしたことで、身体が硬くなったり、思うように力をぬくことができない。これが自由自在に出来れば合気道のスキルもメキメキ上がるし、演劇の表現力も広がりそうだ。


面白かったワークは、大の字に寝そべったところから、なるべく力を使わないで立ち上がるというもの。ずりずりと身体を引きずるように動かしていく。夏バテなんかで何をするのもめんどくさいときを思い出した。



後半は、不思議な感じだった。田中さんの言われるものが、わかったような、わからないような。でも、日常的にはないだろう面白い体験だった。


二人ペアで背中合わせになって、互いによりかかりながら立ち上がるというよくある(?)ワーク。一人を数人で囲み、真ん中の一人が目を瞑って、倒れこみ、それを周りの人が支えるというワーク。ペアで向き合って立って、片方(主人)の動きを片方(鏡)が真似をするというワーク。鏡のワークを発展させて、お互いがお互いの動きに反応して自由に動くワーク。最後は、それを三人でやるワーク。


だんだん日常体験から離れて来たのが、鏡のワークから。田中さんが言われたのは、主人側は鏡側を動かすようなつもりでゆっくりやる、鏡は主人の全体を観察して、何をしたいのかを感じること。そして互いに目を離さず、コミュニケーションし続けること。

主人が、鏡を惑わすとかじゃなくて、二人で、主人と鏡の関係を作り成功させるのが目的。

これが結構難しくて恥ずかしい。まず目を合わせるのが恥ずかしい。田中さんも言っておられたが、目を合わせるとそこから情報が読み取られる。この話はよくわかる。

案外恥ずかしいのが主人の方で、無言で何をするのか迷いながら意味のない動きをしてると、そんな自分がごまかしようなく自分が全て相手に伝わるように思えてしまう。


最初は、恥ずかしいし、どんどんやることもなくなってくるので、ネタ的なものをやっていた。ゆっくりとカメハメ波とか撃つと、相手も撃つのでまあまあおもろい。相手を動かすと考えると少し楽しくもある。

田中さんも、そういうのを入れてもいいといってたけど、田中さんが言う空気というのは、それとは少し違うものだと後の方で少しわかった。


次に鏡の発展ワークで、やっぱり相手と目を離さずに無言で向き合い、相手の行動に反応しながら空気をつくるというワークをやった。


基本は主人と鏡で、相手の動きを真似る。相手が一歩でたら、こっちも出る。相手がだんだん機嫌が悪くなってくると、こっちも悪くなる。腕を上下に動かすと相手も動かし出して、どんどん早くすると楽しくなってきて、お互いのりのりになる。今度は自由なので、相手が一歩でたら、こっちは引く。それがいつの間にか、追う者、追われる者の関係になったり、急に相手の背中をとるゲームになったり……。書いてもよくわからんだろうが、実際やるのも全然よくわからなかった。のワークでは、、キャッチボールとか勝負、といった物語の存在するような関係をなるべく結ばないということを注意された。最初は、もろに物語を作っていく感じでやってたのだが、いろいろ話を聞いてやる中で、さっきの鏡のワークのこととかも、少しずつわかってきた気になった。


互いが互いの一挙一投足に集中し、それに無我に反応していくことを、高めていくと、何かよくわからないが、何かよくわからない空気を共有しているような気になってくる。宗教体験とは違うのだが…、そこには根源的な楽しさ、というと大げさだが、言葉とか、第三者的な概念を介さずに相手とコミュニケーションできたという達成感があった。


ここでいう第三者的な概念とは、カメハメ波やキャッチボール、対決といったもので、これを導入すると、コミュニケーションは楽だし、楽しいのだが、それは二人がお互いを見ていないとも考えられる。

これは結構日常生活ではやってることで、予定調和的な流れや、ゲーム的もしくはコント的な会話などは、微妙に自分を相手の視界から隠しつつ、コミュニケーションをとる術として頻繁に利用している。


田中さんは、言葉というのは凄い力を持っていて、このワークでそれを使ってしまうと、二人の関係性が一気に決まってしまうと言われていた。確かにそうだなあと思う。


書いていると、筆がのってきて、凄いことを悟ったようになってしまったが、案外そうでもなく、こういうことかなと僅かに感じたような気がするだけである。


普段のコミュニケーションというものを考えるのにも、大変良かった。