白飯

好きな物100

田舎のGWメモ

僕の実家は田舎だ。AUの電波は絶望的で、時折圏外となる。通話では、こちらの声しか届かないという不思議な現象がしばしば起こる。ADSLは届いているが、NTT局と離れすぎてて、未だにISDNを使っている。近くのスーパーまで車で15分。町内に本屋はない(あ、でも合併して一応あることになった)


まあ、そんなところで、たっぷり寝て食べて、日の在るうちは軽く農作業なんかして、風に吹かれつつ山をぼーっと見たりしてみると、凄く平和な気持ちになる。そうやって田舎に憧れる都会人のような心持ちで数日を過ごした。


当初は日記を書こうという気持ちだったのだが、夜になると眠くなるので正確な記憶はなく、気持ちが弛緩していたので、時間の観念も曖昧だ。なので、とりあえずまとめてメモしておく。

初日

一日目は、田んぼの畦(あぜ)つけという作業で、田んぼの縁に、泥を綺麗に塗って壁を作る作業をした。手伝いに来てくれてた伯父さんと一緒にやったので、結構早く終わったけど、何故か次の日から太腿の裏が筋肉痛になった。

水のたまった田んぼの中に入ってやる作業もあったのだが、案外というか当たり前だが、ズブズブと沈んだ後に固い地面があったのが意外だった。長い田んぼ用の長靴なら何の問題もない。人生においても、泥沼に入るように見えても、しっかり準備して、固い地面を踏んでいるのなら、それはそれでちゃんとしたことなのかもしれない。というようなことを考えて日記に書こうと思ってたが、筋肉痛が田んぼに入って作業したせいかもしれなくて、やっぱり泥沼を舐めてはいけないと思いなおした。

ワンピースを読んだ「空島編」「アラバスタ編」

夜とか空いてる時間は、ワンピース読んでた。
ワンピース面白い。何回かぐっときた。一気読みだと、長いと不評だった空島も、読み応えがあって良い。


ワンピース面白いんだけど、いくつか気になる点も出てきた。ワンピースは話の広げ方、盛り上げ方、伏線、過去エピソードの挿入など、一つの長い話をしっかり考えてるところは凄いと思う。ただ、味方の危機や、敵の存在が、話の流れに左右され過ぎている気がした。味方は死にそうな目にあっても死なないし、大怪我も結構直ぐに直る。話の流れ上負けるところ、勝つところが決まってるような気がするのはあまり良い気がしない。

あと悪役。大ボスは大抵本当に悪い奴だが、手下なんかは後で仲間になったり良い奴だったりする。それでもそいつらは話の展開上、人が大勢死ぬような、漫画上悪とされる行為も平気でしたりする。そのへんなんだかなあと思う。ニコ・ロビンも、自分の身を守る為とはいえ、結構ひどいことしてるけど、それを反省する感じもなく仲間になってるので、アラバスタ編を読んだ後、今のエニエス・ロビー編を読むと、微妙な気持ちになる。

割とネット上では、冷めた意見なんかも見受けられるが、そのなかにこういう意見もあるかもしれない。まあ、べジータが仲間になってたドラゴンボールも普通に読んでたしなあ。あんまり気にすることでもないのか…。



それでも、この漫画と作者は凄いと僕は思ってる。だってコミックス一億部。印税40億。何でまだ働けるんだ。お金じゃないんだ。すげーや。

ワンピースの作者とスラムダンクの作者、野球選手のイチローが僕の中でかぶる。「良いもの」を目指して、自分のやり方で、高みへ登っていく感じが似ている気がする。

作者が、読者からの質問に答える単行本のおまけページで

漫画家になりたいんですが、大学のサークルに入るか、専門の学校に行くかどうか悩んでます。漫画家の方はどういう方が多いのですか

というような質問に、専門の学校に通って漫画家になった人は少ないんじゃないかと答えたあと

なんにせよ、他人に頼るのでなく、自分でやっていかないとダメだと思います

と書いてて、いつもおちゃらけたQ&Aのこのコーナーで、かなりの異彩を放ってた。前読んだときは適当に読み飛ばしたけど、成功している人の言葉は重いなと思った。

早起きできない

昼まで寝ていた日が二回あった。緊張感の問題だろうか。必要性の問題か? 実家で早く起きれたことがない。

人工と自然

山をぼーっと見ていると、なんで地面が出っ張ってんだ、自然は凄いなあというような不思議ンな気持ちになった。そして、田んぼに畑、家のある部分を見ると、そこにある平地は山を崩して、またはへこんでいた部分を均して作ったのだとわかる。これはこれで、自然に見えるけれど、人の手が入ったものだ。

田んぼや畑のところなんかは、平地にして、囲いの畦道を作って、そこに行くための坂道が作られてて、水路を作って水を引けるようにして、と人が自然を加工して機能を持つように作り変えている。それが、いつのまにか自然の一部になってる。なんか、これはこれでいいなあと思った。ラピュタの城を見るような面白さがある。


いわゆる「自然を大事に」という自然というのは、結構曖昧になってるなあと思った。人の手が入ってない生の自然と、人の手が入ってるけど緑が多く残った自然。後者の自然っていうのは人間が使いやすく手を入れたものなので、どんどん突き詰めればコンクリートのビルも同じカテゴリになるんじゃないかと思う。

僕は結局その「(人工の)自然を守れ」で別に良いなあと思う。見て座ってて気持ちよい自然を多く残そう。という方が、地球のためとか言うよりも、嘘が無くて良いような気がする。

草狩り

草刈機を、26になって初めて動かした。農家の息子としては、いささか恥ずかしい。見たときから思っていたのだが、実際、動かして草を刈ってみると、これは凄いものだと実感した。なぜ巷で流行ってないのか不思議になった。草狩り機を振り回して暴れた事件はまだ聞いたことが無い。チェーンソーなんかよりずっとかっこいいのに。持った感じは思ったより軽く、薙刀刺叉のイメージ。そして先端の丸い刃がヴィンヴィン廻る。凄いファンタジー感。


そして、その圧倒的な破壊する旋盤をもって草を刈る。しかし、その様は伐採などではない。まさに虐殺である。草に近づけるだけで、旋盤は草を刈り飛ばし、草の汁が跳ね返る。草は最後の抵抗とばかりに、旋盤の中心に絡みつくが、回転は、それすらもゆるさない。平和な風景を見て、人と自然の寄り添うイメージを持っていたこの数日間とは違い、このとき僕は草に対して絶対的な破壊者として存在していた。


暗い欲望とかストレスのたまった若者は草刈をやればいいと思った。多分、三国無双とかより、少しの想像力さえあれば全能感に酔いしれること間違いなし。


草に対しては圧倒的な優位を持つのだが、それに隠れた石などは厄介だ。刃が欠けるなどの問題だけでなく、弾かれた石がこっちに向かってくる場合もあり、気を付ける必要がある。実際、石かわからないけど、ドシュッという音がして、僕の足の間に何かが飛んできた。少し怖くなった。

石は言わば少数の反乱軍のゲリラみたいなものだろうか、虐殺自体に対しては影響はないが、痛い目を見る。草刈ゲームの良いスパイスだ。小学校でナイフ振り回すゲームとかより、草刈したらいいんだ。やっぱり。