白飯

好きな物100

舞城王太郎「暗闇の中に子供」「煙か土か食い物」とマンガとゲームの考察

最近読んだ小説だが、読み始めてか読了までがいつもの比べてカナリ早かった。その理由は何か?ただ本が面白いからでいいんだけれども、何故面白いと思ったのか、この小説の特徴を絡めて考えたのでメモ。

この小説の特徴は、句点が少なくてやたら長い段落、テンポの良い会話と展開。どうでもいい会話なんてひと段落にまとめられるて、事件や真相・トリックは数ページで解決、その勿体ないほどの潔さは大事なことは他にあるんだといってるよう。そして書かれる事柄はこの上なく残虐かつ非道かつ悲哀かつ滑稽。主人公含む登場人物も暴力的、性的、病的。それでも話が滅茶苦茶にならないくらい常識やら家族の愛やら持ってる。

で、そんな物語を何で夢中になって読んだか。そのキーワードは想像力だと思うのです。物語を楽しむために、人間は想像というツールを使う。物語は想像というツールで像を結び命を宿す。しかし物語を伝える媒体としての小説は文字しか提供しない。人は文字を読んで情景を物語を思い浮かべる必要があります。本を読むのが退屈だったり、のめり込むまで時間がかかるのはそういうわけだと思うのです。それよりも強力な媒体としては、さらに絵を用いるマンガ、音も使う映画やドラマがあるわけです。ゲームなんかはそれに比べてこちらの操作による変化がある最も強い媒体です。絵や音を使う方が、より簡単に想像を喚起することが出来るわけです。でも映画やドラマの場合、一部現実を用いることにより想像が制限されたり、創られる物語自体が自由度を失っていたりすることがあると思います(リアリティという言葉の難しさ)。それが映画見ながら寝ちゃったりする理由だとこじつけます。で、今回の小説のポイントは、まず血と性と謎。ありふれた様で現実には遠い読者(僕)に物語への注目を与える。そしてその血と性と謎をねじ伏せる主人公達。ここが子気味良い。最強の不良やモテまくりのラブコメ少年や天才名探偵やらに代表される現実にないけど求めたい完璧の形。それがうまく、この完璧の活躍とそれに勝るとも劣らない醜悪な悪意の真相みたいなものを追って行きたいと思ってしまう。ここで、もう想像というツールは、文字を100パーセント物語に変換せんと、働きはじめてしまうのだと思うのです。あと想像というツールは、興味がもてないことはダラダラとしか形にしない。だから、興味とか言う前に注目させてそれから想像に興味がもてないと思わせないように、全体像を掴ませず、そして適度に想像が好きなことを形にさせてやり、ストレスをためない。と、こういうことだと思うのです。

あー長い。学校来る前に思いついたのはもっとシンプルで綺麗だったような気がするなあ。まあいいや。メモだから。メモだから。

そういやバトルロワイヤルも同じような感じの小説やったなあ。血と暴力。展開も早いなあ。そういや。