白飯

好きな物100

子供が生まれたの記

子供が生まれて退院して、3時間ごとの授乳やらオムツを替えたりお風呂に入れたりに四苦八苦して、まだまだ泊まり込みできてもらっているお義母さんに生活の大部分をみてもらいながらも、なんとなく落ち着いてきた感じがしている。こうやって生活が進んでいくのだというリズムができあがってきているからだろう。
父親としての実感はまだ薄い。子供は超かわいい。名前はほぼ決まってきているものの、届けはギリギリになるかもしれない。最初、海苔みたいだったうんこが四日目のカレーのような様相を呈してきて、かわいさ以外主張しなかった泣き声は、ずいぶん力強く、気持ち悪いとかお腹減ったを主張するようになった。手をよく口に入れる。ホッという口をする。手足が、つっぱるように反応する。目をぐりぐりと動かす。服を脱がすと泣く。服でくるむと泣き止む。かわいい以外ない。でもまだ、どこか別の場所からやってきた存在のように感じるところがあって、でも理性はこの子に繋がるのは自分達以外にどこにもないということを知っている。不思議な感じだ。名前を付けるまで、所属は天とか宇宙にあるのだろうか。
壮絶だったお産のことも少し薄れてきているが、あのときは完全に呑まれてしまい、奥さんが死んでしまうのではと思ったし、無事生まれたときは、まず奥さんが無事だったことに安堵して涙した。さらにその後レアなトラブルが起こり、院長先生が白衣を着つつ指示を出しつつで分娩室に飛び込んでくる情景を見たりして、「あ、これテレビで見たことある」と思いつつ「現実には絶対見たくなかった」と絶望しかけるが、今では母子共に健康で、本当に良かった。先生や助産師さんやあらゆるものに感謝するしかない。
しかし、最後のトラブルを除けば、一般的には安産だと聞いて、分娩室は修羅の国だと、名もなき仮面をつけた修羅に金色のファルコが義足をもぎとられたエピソードを思い出したのだった。助産師さんは優しい修羅だ。お産はすごいところだった。

のび太結婚前夜」のしずかちゃんのパパの台詞は美しいけれど、美しすぎることはない。こんな修羅場や感動が、そこらへんに転がっている宇宙はすごい。みんな何でもないような顔しちゃって、あらかじめ言っといてよ、とか思うけれど。少しずつ忘れていくのかもしれないな。

最初の贈り物は、君が生まれてきてくれたことだ。午前3時ごろだったよ。君の産声が天使のラッパみたいに聞こえた。 あんなに楽しい音楽は聴いたことがない。病院を出たとき、かすかに東の空が白んではいたが、頭の上はまだ一面の星空だった。この広い宇宙の片すみに、ぼくの血を受け継いだ生命がいま、生まれたんだ。そう思うと、むやみに感動しちゃって、涙が止まらなかったよ。