白飯

好きな物100

少しフシギ

寝て起きて学校行った。早朝に寝る習慣がついた。4時か5時くらいに寝て、7時か8時くらいに寒さで起きて、暖かくしてまた寝る。寝るときには寝るという気持ちはない、十五分くらいしたら鳴るように設定した目覚まし時計を睨みながら、横になるのだが、気付いたらキングクリムゾンの如く時間がとんでいるのだ。15分以内に意識を失い、かつ目覚ましを止める、または無視するほど深く眠っているわけだ。

昔、自分がいつ寝てるのか突き止めようと思ったことがある。ずっと数を数え続けて、数が途切れた所が寝た瞬間というわけだ。でも、数えてる間は眠れず、めんどくさくなってやめた。それでも昔はフシギに思うことがあったらそれを追求しようという気持ちがあった。今は、もうそんな気持ちも薄れてしまったように思う。

思うに、フシギを追求するのはめんどくさいのだ。長く時間がかかったり、手順が複雑だったり。結局、わからなかったり。で、そんなことを繰り返したり、他人やテレビなんかで、フシギの正体が簡単にわかったりすると、そんなめんどくさいことして、見つけたって良い事ないよって気持ちになってくる。多分、実際はフシギの正体と見つける努力ってのは釣り合わない方が多いんじゃないだろうか。
でも、実はそんなふうに釣り合う、釣り合わないことは、フシギを見つけようとする気持ちには関係なくて、未知のものを、知とするという喜びとか希望とかが気持ちの原動力となってるんじゃないかとも思う。この原動力を持った人は、充実な生をもてるんじゃないだろうか。だから、めんどくささを越えて、フシギを理解しようとする科学者の人たちってのはスゴイ力を持っているんだと思う。行き過ぎた科学が環境や人間をダメにするって話もあるけど、それはまた別で、そういう力を持った人々がいないと人間は進歩しないんじゃないかと思うね。
なんか、壮大な話になったなあ。