白飯

好きな物100

ソバカスなんて気にしてられないわ

大阪までわざわざ演劇を見に行こうとして、演劇の時間間違えてそのまま帰ってきた。
楽日だけ時間早めやがって、打ち上げの時間を早める算段かチクショウ。予約してなかったので当日券を買うために一時間前の受付開始前に到着して、当日券販売が始まるまで受付近くをウロウロしてたのだけど、受付らしき人たちが金の整理やらしてて、一向に受付が始まる様子がなくて、それでも1,2分の遅れはあるかもしれないと声をかけずに待っていたのだけど始まらないので、受付に聞こうとしてやっと「受付開始12:00」の立て札を発見した。そのとき14:00。ああそうか、ときどき遠くで聞こえる声はかけっぱなしのビデオの音でなくて公演の声だったのか、ああ、恥ずかしい。


最初は行こうかどうか迷ってたくらいだったのに、見れない事がわかると凄く残念な気持ちになってくる。あの人やこの人まで出てくるし、この劇団はきっと楽しませてくれるのに、とか思いながら帰った。冬に備えて服を買ったりしてもよかったけど、そんな気にはなれなかった。元々そういうつもりがなかったので、時間と体力を費やす気にならなかったのだった。紀伊国屋で無理矢理文庫の小説を買う。僕はつくづく小説を買えないと思い知った。二度読む敷居がマンガより高いのと、それなら図書館で借りればいいじゃないという合理的僕が囁くからだ。結局また舞城王太郎九十九十九を買う。舞城王太郎を買うのは多分小説を買うと言うよりマンガを買う感覚なんだろうな。それで大阪に来た目的終了。むなしすぎる。


「逆に考えるんだ」というジョースター卿の言葉に従い、僕は自分がドMであると考えてみる。ああ、往復で約1000円と2時間を無駄にして大阪に来ただけだ今日は。せっかくの日曜日を台無しにしてしまった。ああ、嬉しい。楽しい。結構できるな。ライフハック?とにかく現実をまんま受け入れるのがもっとも楽で精神的に良いなあと思った。すると、こんな無駄な事を許される暇な自分が幸せだなあとか思ったりする。そんな風に思うと、街を歩く可愛い女の子や、かっこいい服を着た人とか、幸せそうなカップルなどを見る余裕が出てくる。余裕が出来ると考え事も増える。電車と言うのは、座ってるだけで色々な景色を見せてくれるとても贅沢な装置だなあとか。でも別にそんな景色好きじゃないよな僕は、とか。こういう文章を日記に書こうとか。ああこれはあいつに話したいとか、傍にあの人がいたらいいなあとか。
ああ、これだなあと思う。無駄な時間をすごしてやっと気付く幸せ。大学時代はこんなんだったんちゃうかな。毎日規則正しい爛れた生活を送る上で忘れていったものがある。いやいや、そんな大袈裟なもんじゃない。つい文章に書くとそんな風になるけれど、心地よい空気の中を歩いて、人を見て、本を読んで、座って、おいしいものを食べて、好きな音楽聴いて、面白い事想像して、そういう総合的な普通の事を楽しいと思えることは素晴らしい。充足してる自分とか、仮想の誰かから見て恥ずかしくないむしろかっこいい自分とかに酔っているのでなく、やりたいことが自然にできて、のんびりできている事が素晴らしい。そんなときは、日記だってこんなに書ける。