白飯

好きな物100

前夜

今日で27歳になった。何となく年をとるのが嫌だったのは、尾崎豊が好きだからとかじゃなく、自分がぼんやりとしている内に年相応の何かわからないものを見に付けねばならないような気持ちになって焦ってくるからで、僕はもっとゆっくりと年をとりたかった。でもまあ、年齢とはそういうものではないとわかって、それと焦燥とかその辺の色々を、ようやく自分の人生の中に組み入れて、受け入れていく自分が居る。22歳〜26歳までの追われるような焦燥の中にあって尚のんびりとしていた自分に教えてやりたい。のんびりしたいなら、のんびりしたいだけのリスクが必要だ。僕はこれから、のんびりする為のリスク(のんびリスク)を払い、人生をより豊かにのんびり生きていく事を誓おう。


27が特別な年齢である事は言うまでもないのだけど、数字的な魔力について語ろう。27はすごいのだ。考えてもみよう。27は3の3乗だぜ? 3×3×3、333。3乗したら面積どころか体積が求められる。3次元だ。そこにリアルがある。?? 3たちが…!? なんと合体して27になった! 3は古来よりメガネを外した後の目のシンボルで、さらにチューするときの口のシンボルでもある。でもそれは関係ない。ところで、新約聖書ヨハネの黙示録に記された獣の数字は666*1。これは逆さにすると999で、999-666=333だ。これを憶えておく。それで獣の数字=悪魔の数字=666=悪魔=サタンと安直に連想すると、逆さにした999は、堕天する前の暁の大明星ルシファーと考える事ができて、堕天する前のルシファーから、堕天して悪魔となったサタンを引いたものはそれ即ち堕天したルシファーが失った何か聖なるものであろう。つまり、333は聖なるものの象徴、聖なる数字となるわけだ。な、なんだってー。つまり、その聖なるものが合わさり隠れている27歳になった今年の僕は、サンフランシスコ・ザビエルくらいは聖なる力があるんじゃないかと結論する。まあ、そんなことは微塵も思っていなくて、ただ、そういや年々勢力を増していくオデコの領土が変な風に侵食し始めていて少しだけ怖い。それはそこだけ見ればザビエルに近いかもしれないけど、ザビエルのハゲ所はそういえば頭頂だったと思い出す。いや、あれはアルシンドだったかな。そういや3が聖なる数字なのは、長島さんが背番号に好んで付けていたことからもわかるはずだな。長島さんは聖人といっても過言ではないのだから。そんな感じで、Q.E.D.

*1:「ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である」。(13章18節)