白飯

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外伝 第X回自主練習

さて、もはや飽きてほっぽりなげた形になっていた演劇日記だけれども、さらりと数回分ぶっとばしてしかも自主練の事を書くよ。キングクリムゾン・21スキッツォイド…! 吹き飛んだ時間は後から修復され、完全な世界に至るプロセスは結末の後に語られるッ!的な。


今日は、鴨川で練習だったのが、演出のごまさんが来てて、ごまさんのアトリエでやることになった。古い農家の倉庫といった感じだったが、二階の板場は広くてそれっぽかった。窓から夕空が見えた。


一度、いくつかのシーンを通してやった後は、最初のシーンをずっとやっていた。僕はその後に少しだけ登場するので、そこにいて結局ずっとシーン練習を見学していた。


演出中のごまさんはやっぱり少しこわい。でもキレたり放り投げたりはしないのが大人なところだな。効率を最優先に考えてるのかもしれない。


今日は、訓練も兼ねて、60ページの台本をバラバラにされて、それを拾いながら演技をすることになった役者の姿が印象的だった。


何度も繰り返して言われていることだが、今日の話で少しわかったのは次の二つ

  • 台詞に逃げないこと(全身で演技すること)
  • 互いの言葉に影響を受けること

一つ目の台詞に逃げないと言うのは、台詞を言うことに集中して無防備になって演技ができてないと言うことだと思う。台詞を完全に覚えた後は、一度それを忘れて、その場の状況と、役の性格から自然に言葉を発するのだというようなことを言ってはった。ジョジョ六部の一巡した世界が思い浮かんだ。

なんとなくわかる気がした。なんとなくだが。


二つ目は、もっと言葉に反応して、言葉の調子を変えたり、それに反応した演技をするということ。これが出来ないのは、多分、僕らが普段の会話でそんなことをあんまりしないからだと思う。いや、してるんだけどもっと反応は単純で、何度も反復されて使われる内に、自動化されているものもある。それに、生々しい微妙な空気や表情を出すドラマよりも、記号化されて半ば人間性を失った(ように見える)物語を見ることに慣れているところもあると思う。

そういうのが鈍感になっているということで、演技するときは、それを大袈裟にやるということなんだと思う。静かな演技も、結局そういうような大袈裟な感情や表情は確かにあって、さらにもう一段階、それを抑えた演技を交えることでなる高等技術なのだろう。


こういうことが考えられて、見学で暇だったが、なんだか燃えてきた。僕の役は、台詞が少ないのだが、そこだけでも見て何だかイイと思えるような感じにしたいなあと思った。