白飯

好きな物100

通り魔の夢

午前3時くらいに研究室のソファで寝てしまってて夢をみた。
最初の部分は忘れてしまったが、僕は道に立ってると、角から顔を隠して刃物を構えた見るからに怪しい人が現れてこっちに向かってくる。通り魔だ、僕は瞬時に悟って避けようとする。結果、避けたか尻持ちをついたかで通り魔はそのまま逃げてった。僕は死ねとか殺すとか通り魔を罵ったが追いかけられなかった。足が動かない。心臓がドキドキする。そこで目覚めた。

自分がどっかから落ちたりする夢でも同じようなドキドキがあった。この夢で恐かったのは、自分が動けなかったことだ。夢だけど、恐怖で足が動かなかったのだとすれば、もしも現実にこんなことになったら、僕はうまく対処できるのか。うまく対処できなくても命とか守れるのか。

コンビニから研究室に帰る途中、このことを思い出して日記に書こうと思ったら、急に後ろが気になり始めた。歩いていたのは誰もいない校舎の裏手、木が少しある所だ。小さな頃恐かった夜も、とにかく何もないと安心することで恐くはなくなった。それでも、こんな風に些細なことで、何でも起こり得るという気持になって恐くなるんだなと思った。日常において大抵のことは決まっているように思える。今日は研究のプログラム作って発表資料作って水曜日には群馬の発表会行って帰って来たら引越しだ。こういう予定は細かい狂いがあったとしても当然のように起こると考えられる。頭のおかしい人が誰か殺してやろうと思ってうろついてたらコンビニ袋を下げた間抜けな後ろ姿を見つけてそいつについていって刺すなんてことが起こり得るとは思わない。でも起こり得る。何でも起こり得る。小さい頃はそう思っていたはずで、毎日退屈な学校にいくという日常を繰り返していく内に何も起こらないと思い込むようになる。それのほうが効率がいいからだ。逆にそれに慣れすぎると世の中なんてつまらないという気持になる。長くなってきたけどまとめられる気がしないので終る。要するに何でも起こり得るという考え方は退屈な日常を送る上での清涼剤みたいな働きをするけど、同時に恐ろしい事も起こり得ることになって恐くなることもあるんだなと思った。