白飯

好きな物100

たとえ遊び。トイレとHP

汚い話をします。

よく言われるような話だけど、HPをトイレに喩える。人は、自分の仕事とか趣味のこと、好きなこと嫌いなこと、読んだ本の感想とか日記とか、今のこと昔のこと、思うこと考えることとかいろんなものをHPにのせる。これはトイレに落とす排泄物だ。日記なんかでは、よく垂れ流すって表現が使われるし、自分が周囲から取り入れてきたもの、もしくは自分の中にあったものを外に出すという意味では、同じようなものだ。すごいよ!マサルさんの最終回もせいいっぱいのうんこというタイトルだったのもうなずける。作者の人も、精一杯出したものです。でもうんこ。というようなことを言ってた。

普通のトイレと違うのはこの自分専用トイレはそういう排泄物をなかなか流さない。人が見に来るからだ。排泄物の色や匂いは様々なので、珍しいのにはたくさん人が見に来る。だから、しばらく見えるようにして置いておく。定期的にたくさんするひとは、別の場所に移したり、流してしまったりする必要がある。あんまり放置すると、硬くて古くなって誰も興味を抱かなくなる。

取り込んだものを消化して全然違うものにして出すのもあれば、ニューストイレなど、なるべく消化せずまるごと出すものもある。中には、みんなで出しましょう、みたいなトイレもあって、トイレを訪れた人が自分も排泄できるトイレもある。ここは、似通った排泄物になることがおおい。みんなが、こんな色のを、こんな形のをとかかんがえるからだ。これが掲示板とかになる。

インターネットは、場所だけ貸して一般の人が自分のものを売ったりするような商売みたいに、個人に個室トイレを貸す巨大なトイレだ。

この喩えはなかなか自然ではないか。この考えを用いれば、インターネットに依存してそこに楽園をつくるようなことも、インターネットを自由に渡り悪事を行うことも、インターネットでの事柄に怒ったり傷ついたりすることもなくなるのではないかと思う。所詮はうんこなのだ。トイレを楽園にしたくないし一日中いるなんて考えたくない、トイレで悪事をはたらくことに何のメリットがあるのか、ウンコに真剣に怒ったり傷つくことはバカらしく思えないか。これからは、インターネットイレに呼称を変えればなお良いんじゃないか。ネットイレ中毒なんてかっこ悪いとわかるだろう。なんか粘つきそうだもの。


こういう汚いものをネットに放り出して、少しでも人の目に触れさせたいというのは、やはり変態じみたものがあるなと冷静に考えれば思う。でもリアルなトイレってのも一日二三回は行くものだし、文明社会において必要なものだ。そうすると逆にネットイレも不必要ではないともいえる。